クレイジー・フロム・ザ・ヒート
神田昌明

 まるでサウナのようだ。咽も鼻も一緒に乾く。久しぶりに夏の浜松に来た。別に意識して帰らなかったわけじゃない。ただ、なんとなくだ。
 駅を出てバスターミナルに行く。一般車の出入りが禁止されているその場所に、赤いプジョーのカブリオレがいた。そして一人の女がこっちに向かって手を振っている。
「ずいぶん久しぶりね。迎えに来たわ」
彼女はそう言った。あんたのことは知らないが、人違いではなさそうだ。俺の名前を呼んでいる。まあどうでもいいことだ。リアシートにバッグを投げ、助手席に乗った。赤い車は本線へと走っていった。

「夏には帰ってこないかと思ってたわ。よかった、ちゃんと連絡取っておいて」
ちょっと待て、だれにも連絡した覚えはない。彼女がどこから情報を手に入れたのか不思議だ
カーステレオからはユーロビートが流れている。俺がきらいだと知らないのだからたいした関係じゃないだろう。
「頭に来るなあ。このタコ」
彼女の視線の先に目をやると、バスが停まっている。彼女はタバコを投げつけた。
「いまどきバスなんて走んなよ」
そういうと、バスをコンコンと叩いた。誰だろう、この女は。どうでもいいことだけど。

「すこしムシャクシャするからとばすよ」
車は国道一号からバイパスに逸れた。彼女は相変わらずタバコを吸い、俺は相変わらずガムを噛んでいる。
「あんまり前を見ないんだね」
彼女が言った。そうだ。確かに前を見ていない。ドアに寄りかかって横方向しか見ていない。久しぶりの景色を見たいからなのか。それとも前を見るのが恐いのか。
右側に浜名湖が見えた。
「私の運転がうまいってことか」
なぐってやろうかと思った。

  祖父とよく浜名湖で遊んだ。夏はよく釣りをした。シマッコという小さな魚を釣った。
 初めは貝を掘ってエサにしたが、一匹釣ると、次からは釣った魚を切ってエサにした。
 この魚は共喰いをするのだ。まだ水がきれいだった頃、浜名湖が広かった頃の話である。
 祖父はぼくをかわいがってくれた。そして、ぼくは祖父が好きだった。

 軽く浜名湖を一周して家についた。
「また夜、迎えに来るから」
そう言うと赤い車はいなくなった。排気ガスの臭いの中に、帰るべき場所の臭いがある。家が縮んだ気がする。犬が吠えている。すっかりみすぼらしくなった家に入る。この時間では誰もいない。静かだ。犬だけが騒いでいる。ちょっと疲れていたので横になった。さっきの女が誰なのか、だんだん思い出してきたが、名前を思い出す前に眠ってしまった。
その程度の人なんだ。

  祖父の四畳半の部屋は『ベッドの部屋』と呼ばれていた。子供のぼくにとっては大人の
 空間だった。祖父の通夜。ぼくはその部屋で一人で寝た。祖父のベッドで寝れば、また会
 えると信じていた。だれよりも好きだった祖父のために涙を流してその部屋で 一夜を過
 ごした。親戚の人たちは「元気を出せ」と無責任なことを言っていた。だれもぼくの気持
 ちなど知らないくせに。ぼくが泣いている隣の部屋でみんなが笑っていた。その頃からぼ
 くは、たとえ親であっても他人を簡単に信じなくなった。

 目が覚めると、すっかり夜だった。ずいぶん暑い夜だった。夕食も終わって一家団欒といったところだ。俺はテーブルにすわって、すこしぬるい水を飲んでいた。
「ずいぶん気持ちよく寝てたから起こさなかったよ。つかれたかね?」
ずいぶんよそよそしい会話だ。ついこの間までは俺も家族の一員だったのに、急に他人のように気を遣ってやがる。自分の子供に気を遣ってどうするんだ。これならさっきの女と一緒にいた方がましだ。
「あんた、部屋に鍵かけて帰るのはやめなさい。掃除できないでしょ」
必死に話題を探す母がいじらしい。
「鍵をかけないとコンドームを盗むヤツがいるからだよ」
テレビではイラクがどうしたとかいっている。そんなこと知ったことか。
 外でクラクションが鳴った。ああ、そうだ。迎えに来るちか言ってたな。短い団欒を後にして、外に出ようとすると、弟が
「コンドームぐらい自分で買ってるよ」
と掃き捨てた。

 赤いプジョーには三人の女が乗っていた。誰なのかさっぱりわからない。
「私の友達よ」
と紹介させられたが、だいたいあんたの名前を知らないんだよ。どうでもいいや。どうせ二度とあうこともないだろう。
 高校時代によく通ったライブハウスに行った。ステージでは見たことのある金髪がうるさいだけの音を出している。
「あの人たち、まだやってるのよ。進歩ないわね」
もっともだ。でもあんたに言われるようじゃ、あいつらも死んだ方がいいな。金髪たちとは一緒にバンドを組んだ時期があった。うまくもないし、センスもないくせに、プロ志向だけは強い最悪のヤツらだ。昔よりは客は入っていたが、センスの悪さは変わらない。
「あんたもまだやってるの?」
この女、俺のことを知ってるくせに、かんじんなことはなにも知らねえな。左腕を折ってからやめちまったのを知らねえのか。骨がひっかかるあの感じがイヤなんだよ。ステージの金髪クソザルが俺に向かって何か言ってる。あんたらの友達でいたくないんだよ。無視して外に出る
「あがって、一緒にやればよかったのに」
そうだ。あがったら俺も進歩がないんだろう。でも俺はあんたに言われたくないんだよ。ヤツらに同情するよ。思い出した。あんた、あのバンドと仲が良かったな。でも名前は思い出せねえや。どうでもいいか。

 軽く食事をして二人の友達とやらを送り返した。また二人になる。暴走族がすり抜ける。車は静かに走って行く。カブリオレは風が通っていいが、虫が顔にあたる。どう考えても俺の家の方向には進んでいない。ダイワロイヤルリゾートホテルにすべり込んだ。ちょっとお高くとまった会員制のリゾートホテルで、くそくらえの所だ。この女はここの会員権を持っていた。何者なんだ、こいつは。十六階のかなりいい部屋に通された。彼女はしきりにビールを勧めるうるさいから飲む。あっという間にぬるくまずくなる。久しぶりに女と寝た。でもセックスじゃない。これはただのファックだ。愛なんてない。ただの行為だ。屁を一発こくようなものだ 思い出した。この女、俺より4つも年上だ。高校時代にずいぶんかわいがってもらった女だハデ好きなのは変わらないが、メンソールからケントにタバコが変わった。

  祖父はタバコが好きだった。マイルドセブンだった。祖父はタバコが好きで、ぼくは祖父
 が好きだったので、よくお使いにいった。ぼくはタバコの煙りは嫌いだったが、タバコの葉 の匂いが好きだったので、よくタバコを吸うまねをした。口の中がチクチクするような感じ が好きだった。祖父自身になった気分だった。祖父の柩にタバコを入れるのが、ぼくの役だ った。涙と一緒にマイルドセブンを入れた。やがてぼくもタバコを吸うようになったが、マ イルドセブンだけは吸ったことがない。祖父に対する敬意がそうさせるのだろうか?

 今日は家で食事をとる。その後、犬の散歩をする。半年ぶりに会うのに俺の顔を覚えているらしい。ヘラヘラしていて頭に来たので、耳を洗濯バサミで挟んでやった。キャンキャン鳴いて苦しんでいた。ざまぁみろ。父に文句を言われたが別に気にならない。子供の俺がすっかり思い通りにならなくなったので犬を飼いだしたことを察していたからだ。父には申し訳ないと思うが、俺はペットじゃない。エサを与えた人にもかみついてやりたい。でもよく考えたら俺はあの女にとって、この犬のようなものだ。あまりに可哀想なので洗濯バサミをとってやった

 
 今日は雨が強い。プジョーにはソフトトップが付いた。ライターを買うから選んでほしいそうだ。てめえの物ぐらいてめえで選べ。頭に来たが、断る理由もないので同行した。雨の日はイライラする。
 ライターは百貨店では買わない。浜松にちょっと詳しい人は路地を入って軍需品を扱う店で買う。シブいヤツがあるからだ。俺はちょっと高いが32年型レプリカのジッポを選んでやった。金の心配ならいらない。彼女はどうせパパのカードで支払うのだから。もっと高くてハデなヤツはたくさんあったが、この女の下品なハデさを中和させてやろうとシブいヤツを選んだのだ。せっかく俺がそこまで考えて選んだライターを、彼女は俺にくれた。バカみたい。頭に来たので目の前で捨ててやろうかと思ったが、なかなかいいライターだったのでもらった。このレプリカはもう二度と手に入らないだろうから。雨の日はイライラする。

  祖父の遺骨を納める日は雨が強かった。正確には納骨の時間に強く降っていたのである。
 そういえば葬式の日にも雨が降った。ぼくは祖父が好きなので当然雨は嫌いになった。祖
 父の思い出に雨の日はない。雨の似合わない人だった。

 すっかりぬるくなったコーラを飲みながらつまらない話をする。彼女と俺とは住んでいる世界が違う。俺は彼女相手にあばれまわったつもりだったが、結局彼女の掌で遊んでいただけだまるでお釈迦様と孫悟空の関係のようだ。俺はこの女を嫌っているのに、この女のようにはなりたくないとおもっているのに、負けを認めている。みじめな気分だ。
「ずいぶん変わったね、昔に比べると」
そりゃあんたと離れていたからね。何がどう変わったの。
「昔ほど覚めてないのよ。若返ったみたい」
あんたが俺をダメにするんだ。なにもわかってねえな。頭にくるけど、俺はあんたに勝てない前だけ見て生きていけるあんたと、前を見るのを怖がってる俺とじゃ、あんたの勝ちだよ。
 このままじゃだめになってしまう。そろそろ潮時かもしれない。

 世間一般では夏休みがそろそろ終わる頃、そして俺の浜松滞在が終わる頃、浜名湖の北に位置する館山寺で花火大会があった。二人は昼過ぎには海水浴場につき、ジェットスキーとサーフィンを眺めていた。缶ビールはすぐにぬるくなってしまう。俺は上半身裸になって肌を焼く
彼女はタバコを吸いながら遠くを見ている。今気付いたが、彼女の目を見たのは初めてだ。いつもサングラスをしていたのに、今日ははずしている。
やがて水すましたちが陸にあがり、空が暗くなった。湖には誰一人いなくなり、岸には大勢の人がいる。花火が始まる。まぁありきたりの花火で別段感動もない。二人は黙ったまま花火を見ていた。
 始まったものは当然終わる。花火が終わる。あんなに大勢だった人がまばらになった。若い人達の笑い声と車の音だけがたまに聞こえる。あとは波の音だけだ。夜とはいえまだ暑い日が続く。二人はしばらくだまったままだった。彼女は遠くを見つめ、俺は彼女の目をみていた。
もう夏も終わりだ。そろそろ函館に帰ろうと思ったのは、この時だった。

  館山寺の花火は一家そろって見に行ったものだった。ぼくの家は裕福ではないが愛情は余 る程あった。百円のソフトクリームですべてが満たされた。何も恐れるものはなかった。家 族のつながり、血の重さを十分に理解していた。

 赤いプジョーで駅に向かう間、彼女は相変わらずタバコをふかして、つまらない話をしている。俺は相変わらず前を見ていない。そして適当に相づちを打っていた。駅に着く前に一緒に食事をしたいと提案すると、彼女は喜んで「禅」に車を向けた。高校の寮のそばにあるレストランである。考えてみれば、この夏初めて彼女に要求をした。ここに来たということは、彼女は四年前の俺を欲しがっているんだ。でも俺は昔の自分にはなりたくないと思ってる。
 二人は酔うほどビールを飲んで、食事をした。彼女は缶ビールを六本買ってプジョーの中で飲んでいた。俺もビールを飲んだ。このまま事故って死んでしまうのも悪くない。どうでもいいや。

 駅に着く。新幹線のホームで彼女はキスして欲しいと言った。別に減るものでもないし、酔いも手伝って、した。でも、次の要求は拒否した。時計を交換してくれといった内容だった気がする。彼女は、
「私の時間をあげるから、あんたの時間をちょうだい」
と、いったのだ。そんな気がした。それは無理だ。あんたは変わってないかもしれないが、俺は四年で変わってしまった。

 新幹線がホームに入った。彼女からポカリスウェットをもらった。あぁ、今日もサングラスをはずしていたんだ。やがてドアが閉まり、新幹線がすべり出す。彼女は手を振っている。そしてそのまま遠くに行ってしまった。ずいぶん飲んでいたのでトイレに入った。なぜかポカリスウェットを持っていた。この夏の狂気をすべて忘れようと、小便といっしょにポカリスウェットも流した。32年型レプリカのジッポーも捨てちまおうかと思ったが、もったいないのでやめた。だからだめなんだ。きっと。
 トイレの中で、そのライターでハイライトに火をつけた。そういえば、ハイライトは父がまだ強かったころに吸っていたタバコだ。

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