題字について〜「青い花」の由来
 
 「青い花」は、太宰治、宮川義逸、檀一雄、中原中也、森敦、伊馬春部、津村信夫、北村謙次郎、山岸外史ら十八人の同人を擁し、昭和九年十二月に創刊されました。しかし、山岸外史著『人間太宰治』によれば、「天才?たちの集会」であったこの同人誌は、「急激な寄り合い世帯」であったため創刊号のみでメンバーは四散、その大半が保田与重郎、亀井勝一郎、萩原朔太郎らが主催する『日本浪漫派』に合流してます。
 戦後、山岸外史が第二期「青い花」を立ち上げ、ここからは萩原朔太郎の子女でエッセイストの萩原葉子が文壇デビューしてます。
 大学卒業時(平成3年)、完全に「太宰かぶれ」だった編集長が、本誌の名称に迷わずこの「青い花」を選びました。
 題字についてはそういうこだわりがあり、
「太宰治の処女作『晩年』の題字風な書体で!」
 という編集長(宮川)の無茶な注文に、本誌書家である齊藤賢一氏が快く筆をとってくれたものです。この題字は創刊号から第九集までと第三十集記念号に使用させていただきました。第十集記念号から第二十九集までは、斉藤氏が毎年創意工夫を凝らした書体で、本誌に彩りを加えてくれました。
 
 
精選 名著復刻全集 近代文学館
太宰 治著 晩 年
砂子屋書房版
 
 
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