北海道
橋本清安
 
 ぼくの母親はよく「北海道はいいねえ」と口にする。物心ついた時から何千回となく聞かされてきたぼくは当たり前のように「北海道はいい」と思い込んで育った。
 しかし、よう考えてみたら変な話である。本州の人間を観光案内している時のセリフならともかく、北海道に住んでいる人間に向かって言うのだから。また、ふだんあまり行かない遠い所、例えば稚内とか知床とかへ旅行に行った時とかならわからないでもないが、母の場合は、例えばすぐ近くの洞爺村などの知人のところへ用事を足しに行く途中でも車窓の景色を見て「北海道っていいねえ」なんて言うのである。
「うちのお母さんって北海道の人のくせに変なの」と、よく小学生の頃思っていたものだ。
 高校一年生の春、両親が離婚した。それもあって、とにかくその頃の私は親に頼らずに一人で生きていく力をつけなくては、という意識がとても強かった。そのためには自分で金を稼がなければならないと思い、まずは手始めに、高校一年生の夏休みに一週間ほどアルバイトをした。洞爺湖畔の農家の畑の農業用水路をコンクリートで固める仕事で、簡単に言うと土方である。
 生まれて初めての肉体労働。朝六時には家を出て真夏の太陽の下、夕方五時くらいまでずーっと働くのである。はっきり言ってとてもきつく、つらかった。あまりのきつさに、昼飯を食べようとしたら吐きそうになるくらいである。正直な話、初日、仕事を終えて家に帰った時、もう行きたくないと思った。でも、行かないと金はもらえないし、他の人には迷惑をかけるし、何よりも絶対弱い自分を認めたくない、自分の弱さに負けたくないという気持ちが強かったので、がんばって次の日も行った。二,三日もするとだんだん仕事の要領も覚え、少しずつ楽になってきた。昼飯もばくばく食べられるようになってきた。そして自分の中の何かが少しずつ変わってきつつあることを感じるようになってきた。
 あれは五日目くらいだったろうか。午前の休憩時間、みんなは涼しい木陰で休んでいたのだが、ぼくはあえて灼熱の太陽の下にある草地で寝っ転がることにした。今思えばあれは一種の満足感なのか、あるいは優越感を感じていたのだと思う。今俺は友達の知らない所で、汗にまみれて大人にまじって金を稼いでいる。のんきに夏休みをダラダラ過ごして親に金をせびっている奴らより、自分で自分の金を稼ぐ俺の方がすごい、一人前だ、と。
 あおむけに寝っ転がると、真夏の青い空がとても大きく大きく広がっていた。じいっと見てるいると、まるで吸い込まれそうな感覚に襲われる。起き上がって前を見ると、そこには空よりも青い洞爺湖の湖水が横たわっている。遊覧船がまるでおもちゃのように見え、思わず自分の手と大きさを比べてみた。近くの林からはにぎやかなセミの鳴き声がし、時折涼しい風がやさしく吹いてくる。まるで一枚の油絵の中に自分が入り込んだような錯覚。そしてぼくはこう思ったのである。
「ああ、俺は今、北海道にいるんだな」
いつか誰かも同じような事を言っていた気がする。それが母の口癖だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
 ぼくの母は茨城県は水戸の、とある大地主の娘だった。ところが戦後GHQによる農地改革により山や土地を没収され、家は没落。母は地元の商業高校を出て東京の会社に勤めた。が、ある日父親と大ゲンカをして会社を辞めさせられ、家を出るはめとなった。母は九人兄弟の真ん中で、当時家族の中で母をかばってくれたのは次兄だけだったのだが、次兄は当時北海道は真駒内で自衛隊に勤めていた。当時十九歳の母はその次兄だけをたよりに家を出て、単身未知なる北海道へ渡ったのである。ところがその途端次兄は本州へ転勤。帰りたくても帰れない母は、身寄りのない北海道でたった一人で生きていくことになったのである。
 母は言う。北海道はいいねえ、広くて大きくて。人は優しいし、のんびりしてるし。そして、何でもできると感じられる自由さがあるよ。それに比べて内地はいやだねえ、狭いし、せわしないし。何をするにも息苦しいよ。……でもね、昔は私の家もこれぐらい広い畑や田んぼがあったんだよ。北海道はいいねえ……。
 母の言っていた北海道の良さは、彼女の遠い記憶の中の生まれ故郷の良さそのものなのだろう。まだ子どもたちが小さかった頃「両親がいなくなった今、私にはもう帰るところはない。北海道に骨をうずめるんだ」と繰り返し言っていた母。そんな彼女も最近「死ぬ前に一度でいいから、自分が遊んでいた庭に立ってみたい。学校に通っていた道を歩きたい」と言うようになってきた。そして、そんな母を見ながらぼくは彼女とは逆に、北海道の風景を通して彼女の記憶の中の風景を見ようと、毎夏テントを車に積んで道内を巡っている。
 
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