青い花が皆さんとともに歩んできた長い道
宮川高宏(本誌編集長)
 
はじめに
 平成三年三月に創刊されたわれわれの「青い花」も、この号でついに通巻十号。創刊されたのは私自身大学卒業間際、これから社会人として第一歩を踏み出す、まさにその身辺慌ただしい中でのことだった。この雑誌の発起人でもある野呂氏が、国語科卒業文集にかかりっきりだったこともあり、編集長職は私が仰せつかった。そうしてそのままスタッフに支えられながら現在に至っている。主な業務は案内状発送、原稿集約と帳合い、構成と製本、本誌発送である。だから、そのすべての歴史に主体的に関わっていると自負している。
 というわけで、第十集を記念して、私の立場から考える「青い花」のこれまでの歩みを中間総括してみたいと思う。そしてその中から、今後この雑誌が進むべき方向というものも見えてくるのではないかと思う。
 
「カラ元気」に触発されて
 私たち同期と入れ替わりに卒業された近代文学研究室の先輩に吉田敬三氏という方がいる。吉田氏が主催者となり、男山氏、黒丸氏、上野氏らと発刊した国語科同人誌が「カラ元気」だった。廃刊から数年が経ち、その話を聞いた野呂氏が我々仲間内に同人誌の話を持ち込んだのが、平成二年の夏。しかし同期に案内状を出した後、話は立ち消えになり、その話が復活したのは卒業論文も終了した平成三年二月のことだった。前記のとおり、発起人の野呂氏が同期の卒業文集に神田氏とかかりきりだったため、わりとこの話に乗り気だった私が編集長をやることになった。米谷氏に助力をいただきながら精力的に動いたが、雑誌構成というものがわからない。その時、同じ大学寮の先輩だった上野氏から「カラ元気」二号をいただいた。これがこの「青い花」構成の基礎になっている。
 同人は研究室の同期生だけという話から、やがて同期全体でということになり、大学に残っていた三河氏や富永氏も参加、英語科や特殊、書道研究室の仲間にまで広がった。研究室顧問の安東先生にも巻頭文をいただき、卒業記念の国語科同人誌「青い花」が完成した。続ける気はなかった。だから表紙には第一集という文字もないわけである。
 
新たなスタート
 平成三年秋。初任で空知に飛ばされた私に、電話が入った。野呂氏である。なんでも函館国語会の会合のおり、静岡から参加した神田氏と再会。この「青い花」再刊の話がまとまったということだった。さっそく米谷氏に打診し、動き始めたのだが、全国に散ってしまった同期にそうそう細やかな連絡がつくはずもなく、結局は同期の男子中心の文集めいたものができあがる。しかし、仲間内しか読まないからこそ書ける作品も多く、密度は濃かった。女性同人では細川さん(現田中)、先輩では二本柳氏、そして我々の(いろいろな意味での)後見人である男山氏などが寄稿してくれ、再出発の景気づけになった。スタッフは私と野呂氏と米谷氏の三名での再出発だった。ここから二、三年、本誌は仲間内文集、そして大学教官への年一回の近況報告的ニュアンスを持って進むことになる。教官の方々への原稿依頼も積極的に行った。安東先生、夏井先生、鈴木先生(故人)にも励ましの手紙を何度いただいた。オリジナルメンバーである国語科同期男子の寄稿も安定し仲間内文集としての時期が続いた。「カラ元気」同人だった先輩諸氏の寄稿も度々あった。
 
鎌田さん(現武内)と高山氏(パピ)の参加
 第四集から参加した鎌田さんと高山氏。鎌田さんは私と同期であり、高山氏は二年後輩である。両名とも幅広い交友関係を持ち、またこうような仲間内の企画には積極的に関わってくれる人である。この両名をスタッフに迎えたことにより、本誌は拡張主義に走ることになる。鎌田さんのおかげで女性寄稿者や購読者が増え、また高山氏のおかげで今まで少なかった後輩の寄稿者が増えてきた。そしてこの頃より、国田さん(現佐藤)のカットもお馴染みとなり、入れ代わりのあった編集顧問も男山氏に継続をお願いし、本誌の基盤が整ってきた。
 
拡張主義とその歪み
 私が第六集を最後に渡島へ移動したこともあり、大野中学校に赴任してからは渡島管内の同期、先輩、後輩とも顔を合わせる機会が増え、それも同人拡張効果の一つとなった。現在では同人(寄稿者・購読者)も五十名ほどになり、当初、毎年の悩みの種だった原稿不足、資金不足ということも、ある程度は解消されている。
 第七集からは創刊号からの連載となっている富永氏の巻末エッセイ、柳氏の創作詩に加え、書道研究室だった斉藤氏の毛筆書きによる巻頭の書の連載も始まる。近年では、年毎に依頼していたスタッフや事務局の役割も明確にし、バックナンバー紹介、住所録整理など、新しい同人にも対応できる雑誌作りに努めてきた。
 しかし、この拡張が全く痛みを伴わずになされたわけではない、ということにも触れておきたい。それは、新たな同人が入ることにより、オリジナルメンバーが徐々に遠ざかっていったことである。もちろん連絡はついているし、数年ぶりの原稿も来ることはある。しかし当初、仲間内の男同士の文集だから書けた、書いてくれたという人にとっては、そんなに面識があるわけではない同人や読者が次々増えていく中、自分の作品はおろか、随筆や私小説などといったものを発表するのは、ためらわれる環境になっていたと推測できる。このオリジナルメンバーのおかげで本誌が再刊され、まがりなりにも毎年の文芸同人誌として軌道に乗ることができたのだから、その点では心苦しいものを感じる。しかし、もし、新しい血の導入がなかったとしたら、ここまで続いただろうか、とも考える。たぶんに一人欠け、二人欠け、原稿が集まらない、発刊資金も足りない状態となり、本誌が廃刊に追い込まれた可能性もけっして否定できないからである。
 
これからの課題
 先日、オリジナルメンバーの一人である橋本氏より、
「今のままでは雑誌として面白くない。テーマや特集など毎号違った趣旨も考えたほうがよいのでは?」
 というアドバイスを受けた。一方でこの同人誌の在り方として、発起人の野呂氏による、
「この同人誌は、その同人全てが何物にも束縛されず、全く自由な発想で思うがままに文芸を楽しんでもらうために作られたのだ。」(「青い花」第四集)
 という精神が脈々と流れていることも事実である。
 同人誌という形をふまえ、テーマや特集に拘束されず、自由な原稿の持ち寄りでこれからも進むのか、あるいは何か新しい発想や趣旨を提起し、もっと外部から見て魅力ある雑誌を目指すのか。
 もう一つは、あくまで我々同期を中心としつつ、スタッフとつながりのある方を同人に勧誘していくのか、それとももう少し広く、国語科先輩や後輩、一般の方々にアピールしていくのか。
 この辺のすり合わせをどう進めていくのかは、今後の課題である。
 
あとがき
 こうして、「青い花」の歩みを自分なりにかなり強引にふり返ってみたわけだが、まだまだ構成部分など言及、反省すべきことは多い。しかし数多い寄稿の中には、同人の皆さんの心に残るような作品がきっとあった、と思っている。
 この第十集まで惜しみない協力をしてくださった方々、そしてこのような試行錯誤を温かい目で見守り、支持してくださった同人の皆さんに心から感謝して、この拙稿を終わらせていただきたいと思う。
 最後となったが、この「青い花」創刊のため、安東先生が寄せてくれた原稿の中の一文であり、我々スタッフの指針となっている言葉を提示したい。
 
国語科というのは、読んで書くものの集まりのはずであると思いたい。
安東 璋二
 
(平成十一年十一月記)
inserted by FC2 system