嗚呼、我ら平成国取隊!
宮川高宏
 
 本誌も今回で17号を数える。本来、我々同期の卒業記念の1冊で終わるはずだった本誌が、毎年の発刊に継続されることになった事情はこれまで数回誌上に掲載してきた。本誌の中心スタッフには事務局の私と武内女史他、野呂発起人、米谷副編集長、高山(パピ)といるわけだが、武内女史以外の4人に、旧スタッフの能瀬を入れた5人組みには、本誌17年の歴史以前から連綿と続いているもう一つの活動がある。
 5人(野呂、米谷、能瀬、パピ、宮川)で大学時代から毎年続けている「無計画旅行」。我々は自ら平成国取隊と名乗り、毎年1、2県の都道府県を旅し、いずれは全国制覇を目指している。大学2年生からなので、今年で19年めとなる。第1回めは北海道一周。以来訪ねた都道府県は24県にもなる。実行委員長は一年毎に輪番で、その旅行の幹事となる。またこの旅行の回覧板と言うか、仲間通信みたいなものもあり、名前を「平成国取物語」といい、5人のうち、誰がいつ発行してもよく、我々の楽しみとなっている。
 その通信で私は、この5人をビートルズに当てはめてみたことがある。ジュリアス・ファスト著『ビートルズ』には、こう書かれていた。
「ジョンは知的で親分肌、ポールは人当たりの良い推進派、ジョージは内向的でしっかり者、リンゴはチャーミングな悪太郎」
 これをそのまま順番に野呂、宮川、米谷、能瀬と置き換えてみると、かなり近いものがあると思う(パピは明るく社交的なビリー・プレストン!)。ビートルズには遥か遠く及ばないものの、その結束と親密さ、そして創造力では僕らも負けてはいないという自負がある。
 さて、昨年もその平成国取隊による無計画旅行が行われたのだが、いつもは夏休みを使って行う旅行に昨年はもう一つおまけがついた。厳冬の函館山登山である。3月初旬のことであった。私が一昨年前から箱館戦争を調べていた関係で、その戦争における新政府軍上陸地であった函館山裏の旧寒川部落跡に興味を持ったのだ。それが昨年の3月のこと。無計画旅行番外編と銘打っての登山(して下山)だった。そして夏の定番時には戊辰戦争激戦地である会津若松、福島県を訪れ、この調べ学習に一区切りをつけた。ここからは前記した「平成国取物語」で発表した寒川行軍と福島旅行の旅日記である。我々の活動に興味を持たれた奇特な方は、青い花ホームページ別館にコーナーがあるので、どうぞご閲覧ください。
 
第17回 無計画旅行 寒川行軍番外編
「冬の第二無計画!寒川から富山へと続く不朽の道!」
期 日 2006年(平成18年)3月4日(土)
目的地 函館山裏、寒川海岸(旧寒川部落跡)
行 程 函館山登山後、千畳敷方面から寒川海岸へ下山。穴間方面から再び登山し下山。
 函館山裏の寒川海岸。35年ほど前に唯一の通行手段だった穴間の吊り橋が落ちてからは山を越えなければ行けなくなり、しかも夏はマムシ・ダニの生息地とあって、今の時期しか山越えができない秘境である。最盛期の昭和初期、断崖と荒海に挟まれたこの寒川部落には12世帯64人が暮らしていたとのこと。分教場(分校)もあったらしい。
 昨夏の「かもめ島編」からずっと箱館戦争の調べ学習を続けていた私は、何度もこの「寒川」という地名を目にした。
 明治2年5月。函館湾に寄港している榎本艦隊と、函館新選組が陣取る強固な弁天台場。この二つの守備隊のために新政府軍は、函館市街地への直接上陸攻撃ができないでいた。しかし新政府軍参謀・黒田清隆は、警備の手薄はこの寒川方面から上陸し、山越えして市街地へ突入するという奇襲作戦を成功させたのである。旧幕府軍は、乙部から上陸し、三方向から迫りつつある新政府軍本隊に気をとられていたのだ。つまり、この寒川海岸は、第2次世界大戦におけるノルマンディー海岸と、歴史上、同じ立場にあるのだった。これはもう行くしかない!
 そういうわけで、寒川登山者が常としている3月上旬、寒川行軍を決行した。国取史上初の「冬の第2無計画」である。
 雪道の旧登山道を快調に登っていく。5合目分岐を千畳敷方向へ向かい、千畳敷見晴台で休憩する。その先が下りだったので高圧電線塔を横に進んでいくが、どうも裏手への下山とならない。さらに進むと何と立待岬が見えてきた。明らかに寒川ルート下山口を通り越している。急いで戻り、千畳敷コースの旧日本軍施設を見ながら下山口を探す。資料にある旧気象観測所周辺を散策すると、雪に埋もれた看板を二つ発見。急勾配へ続く足跡もあった。ここが寒川コースに間違いない。
 地元の漁師さんが張ったと思われるロープをつたい、目印のリボンを頼りにどんどん下山。雪も張りつかないような最後の急な下りを降りると寒川海岸へ到着。海岸は思ったよりあたたかく、天気には本当に恵まれた。着いてすぐの場所は、寒川神社跡らしく石碑が建っていた。そしてそれをくわしく読むと一同びっくり。なんと寒川の入植者たちは富山県から来たのであった!
 今回、遠隔地のためにやむを得なく欠席している我が国取隊員能瀬明の住む県である。この秘境まで来て、富山県の名前を目にするとは。その不思議なつながりに一同しばし絶句、驚嘆であった。(思わずその場から能瀬隊員に電話!)
 その後、海岸で布海苔を採っていた漁師さん二人に帰りのルートを伺う。我々も布海苔を採り、昼食。岩に豪快に波が当たり「東映」さながら。海抜0メートルから見るフェリーも不思議な感じである。
 帰りは穴間コース。登り口はロープがあるから登れるような急な岩壁。どんどん高度を稼ぎ、あっという間に海面が真下に見え、寒川全景を一望する。尾根を越えると入江山コースに合流。下へ行けば穴間砲台があり、穴間神社もある。若かりし頃、大学の授業をサボり、みんなで穴間からこの道を山頂までジョギングしたことを思い出す。今こうして同じメンバーでこの道を通っていることに不思議な因縁を感じた。
 穴間方面へ下って帰る先ほどの漁師さんと別れ、我々は逆に入江山コースを登り始める。沢地形の斜面に九十九折りの続く長い長い登りを進む。勾配が緩やかなのは、昔、荷車で山頂に砲丸を運ぶためだったらしい。さすがにここは人が通った跡はなく、何度も踏み抜きを繰り返しながらの登りである。膝まで雪にぬかりながらの登り。これはかなり辛かった。やがて柵と看板が見え、歓喜の山頂。入江山と千畳敷への分岐点へ到着。あとはツツジ山駐車場を経て、旧登山道を下山。谷地頭温泉の熱めの湯が本当に身にしみた。
 寒川の入植者が富山県人だったことや、20年前のペンギンズ・バレーからの穴間コース・ジョギング登山など、この寒川と我々が、何かいろいろとつながっていたことに深い感銘を覚えた。そして昨夏から続いた私の長い長い「箱館戦争調べ学習」もこれを総まとめとし、一区切りつけれそうである。いつか今度は、土方歳三亡き後の函館新選組最期の局長・相馬主計隊長の墓参りで、東京都沖300キロの新島に行ってみたいものである。
 
第十八回 無計画旅行 福島編
「全行程一三八八キロメートル走破・修行の旅〜コーヒー飲んでいきなさい、アドベンチャーコースやめなさい〜」
日 程 八月六日(日)〜八月十日(木)
目的地 東北地方福島県
交通手段 東日本フェリー&ランクル(パピ車)
 野呂のお家事情による欠席、能瀬の中体連剣道全国大会出場による欠席と、「そして3人が残った」(Byジェネシス)平成国取隊。パピ実行委員長は「愛知編」を画策したが、それでは私が金銭面でアウトになり、パピと米谷の二人旅になってしまう可能性も出てきたため、以前からちらほらと話題にあがっていたフェリー&高速で福島、オール野営で手打ちとなった。
 文学関係では草野心平と高村智恵子と松尾芭蕉。歴史関係では昨年から続く「箱館戦争と函館新撰組」の総まとめとしての会津若松訪問。温泉関係では猪苗代湖温泉と飯坂温泉。そしてメインとしての入水鍾乳洞大探検。二晩の野営も快適で、美味しいお酒が飲めた。
 サブタイトルの「修行」は、冷水に足の感覚が無くなり、汗だくで数百段もの石段を駆け上がり、熱湯に全身浸かったという旅の内容から、パピが命名した。
 
第1日目 8月6日(日)
●北斗市(宮川邸)→函館市(パピ家、フェリー乗り場・野呂登場)
 大誠、遼士が女川へ二人旅(飛行機)で帰省。ひとみがようやく週末の休みとなったので、この日の日中は久しぶりに夫婦だけでショッピングに出ていた。大門のボーニで無計画旅行用の写真アルバムを購入(無印良品)。ドリカム(中古CD屋)でジョージ・ハリスンのバングラディシュ・コンサートCDを500円でゲット。それから長崎屋に行って二人で服を買った。ひとみはTシャツ。私は旅用のポロシャツを購入。
「もう若くないんだからポロシャツにしなさい。」
 と、ひとみ。初日に着ていったら野呂には、
「今日の宮川はなんだかフツーだあ(笑)。」
 と言われてしまった(笑)。
 さて、ひとみは新しいパン焼き器を見に家電コーナーへ。私は書籍コーナーで立ち読みをしていた。「目隠しプレイ」という(タイトルは怪しいが)ミュージック・マガジン社から出た音楽評論本。その中に、日本のイギー・ポップでパンク界のゴッド・ファーザーこと元スターリンの遠藤ミチロウ氏のインタビューがあった。「ああ、最近はアコギで全国ライブしてるんだもんなあ。頑張るなあ、ミチロウ。」と、読んでいったら彼は、
「ぼくは福島県の二本松出身なんですよ。高村智恵子の故郷。安達太良山とか見て育ちました。智恵子抄や高村光太郎の他の詩も読んでます。好きな詩人は萩原朔太郎ですけど。」
 というようなことが書いてあって、ブッ飛んでしまった。智恵子記念館のある二本松市は行きたいなあと思っていたし、なんせ、スターリン=遠藤ミチロウと言えば、昨年のかもめ島編で、その簡素な日本語の歌詞が俳句や一行詩みたいだと大いに話題になったことは記憶に新しい。新選組に続き、スターリンまでが昨年の旅とつながっていることに驚きを禁じ得ない私であった。
 そんなこんなで気分も盛り上がり、夜になる。夜10時頃、米谷登場。国取と寒川CDRを渡す。ひとみは明日朝番で仕事なので、早めに家を出る。サンバーでパピ家に到着。そうちゃんはまだおっきであった。たっちも上手で運動量も多い。汗だくは父親ゆずりか。キャンプ用の荷物をサンバーからランクルに積み替え、ここも早めに出発。みんな所帯持ちなんで夜の来訪、出発に気をつかう。フェリー乗り場に着き、乗船手続きや買い物をしていると、なんと、野呂最高顧問登場! 昼間、連絡がつかず、メールで日にちと時間を教えていただけなのに、ちゃんと来てくれたのだ。仕事と育児の合間に来てくれたことに感謝。
 
第2日目 8月7日(月)
●青森市(青森港、朝食)→二本松市(高速下車)→安達町(智恵子生家、智恵子記念館、智恵子のふるさと名産館、智恵子の杜公園、智恵子抄文学碑)→滝根町(入水鍾乳洞)→小野町(昼食、リカちゃんキャッスル)→ いわき市(スパ・リゾート・ハワイアンズ、小名浜港、三崎公園、夏井川渓谷キャンプ場、夕食と宿泊・野営)
 なんだかこんな年はなかったのでは、と思うほどフェリーが混んでいない。室温もちょうどよく快適である。あまりに居心地がいいので、ビールとカップラーメンを購入。すっかりくつろぎタイムである。米谷が早々に就寝。米谷も野呂と同じ二人育児の真っ最中。きっとこの時間に起きていることは「ありえない」日常のはず。ご苦労さんである。パピと2度目のコース確認。初日の二本松市と最終日の医王寺の追加、鍾乳洞の選択、太平洋側のいわき市の対処等を話し合う。
 フェリーが青森港に到着。いよいよ激走500キロの旅である。サンクスで朝食を購入。二本松市まで一気に南下した。車中の話は尽きなかったが、どうしてか沼正三氏の「家畜人ヤプー」で盛り上がった。SMやエロゲロの世界。やはりスターリン効果であろうか。二本松市は静かな城下町。遠藤氏の過激でエキサイティングなライブ・パフォーマンスとは、とても似つかなかった。こんな田舎の片隅から東京に出て、30代でパンク・ボーカリストとしてデビューした遠藤氏の志を想った。すごすぎる!
 さて、高村智恵子である。「智恵子抄」は3年生を受け持った時、2学期後半の道徳で必ず扱う。これから受験戦争に向かう教え子に、本当の愛を教えるために。ちなみにジョン・レノンも扱う。本当の平和を教えるために。そういうわけで、岩手編で訪ねた光太郎記念館も良かったが、智恵子記念館もまた良かった。未公開写真がたくさんあったが、若い時分より精神病を患った時期のほうがきれいだった。パピは「妖しい美しさ」と言った。言い得て妙である。花は散り際が一番きれいなのだ。生家隣りの名産館で智恵子の切り絵の絵はがきを廉価で購入。コレクションが増えた。これも立派な教材となる。
 暑さがだいぶ厳しくなったきたところで鍾乳洞。あぶくま洞と入水鍾乳洞が隣り合わせである。あぶくま洞のほうが観光地としては有名だが、本格的なケイビング(洞窟探検)が出来るということで入水を選択。実際、ここはすごかった。本当にすごかった。最初(Aコース)は普通の観光鍾乳洞と変わりないが、途中Bコースからは膝下ずっと水につかりっぱなし。10度という冷たさで足が痺れ、やがて麻痺する。壁面をよじ登り、岩石をまたぎ、穴を通り抜け、窪地に浸かり、天井が低いところは這いつくばって進む。全身ずぶぬれ。まさに探検、冒険、修行である。「カ〜ワグチヒロシは〜♪」と歌も自然に飛び出した。

 特別コラム「川口探検隊とは?」
 俳優川口浩氏を隊長とする秘境&未確認生物探検隊。70年代末からテレビ朝日で「水曜スペシャル・川口浩探検シリーズ」として放送され、老若男女を問わぬ国民的なブームを巻き起こした。放送当時から一部のマスコミなどからは、「ヤラセ」との批判が絶えなかったが、当時の少年たちからは熱烈な支持を受けていた。ちなみに後継番組である「藤岡弘探検隊」、つまりライダー1号本郷猛さんが跡を継いだ番組があるが、その初回では本郷さんは、今は亡き川口氏の墓参りをしていた。かなり泣けた。
 
 そしていよいよ最終Cコース。照明なし、案内板なしの秘境である。ガイドなしでは行けないので、私たち3人には入り口からガイドのお兄ちゃんが付き添っていた。いよいよそのお兄ちゃん(17歳、高校2年生。ちなみに川口浩は知らないと言っていた。)の出番である。なぜ、受付のおばちゃんがしつこく、
「皆さんCコースまで行くんですから、一人一人懐中電灯持ってますね。」
 と念を押していたのかわかった。ガイドだけが電灯を持っていて、もしそれが故障で消えたら、私たちはここで死ぬからである。真っ暗で入り組んだ深い地底から生きて戻れるわけがない。4人が電灯を持っていれば、1つ2つ故障しても大丈夫だからである。なんだかすごいところに来ていると実感がわく。お兄ちゃんの的確なアドバイスでようやく洞窟の最終地点まで到着した。なんと神秘的な体験だったことか。鍾乳洞はこの旅行でも数々訪れたが、美しさでは見劣りするものの、強烈で圧倒的な実体験によりこの入水鍾乳洞はこの旅のメインとなったのである。嗚呼、川口隊長!
 コンビニで昼食後、リカちゃん城を発見し不法侵入で写真撮影。その後、いわき市へと向かう。
「え!?常磐ハワイ知らないの?」とひとみ。
「日本で初めてのテーマパークなのよ。映画化もされるし。知らないのは恥ずかしいから行って写真だけ撮ってらっしゃい。」
 と命令されました(笑)。パピ、米谷も快諾し、迷いながらも到着。売店でお土産を購入。ベーカリーのカレーパンが異常に美味で、急遽、パンを買い込み、ここで夕食となる。食べ物の出店もたくさん出ていて、私は十勝メンチカツも食べた。美味かった。 時間的に「アクアマリンふくしま」は無理。米谷体調補佐の
「じゃあ、海で泳ぐか!」の大号令で太平洋へ。
 キャンプ場も捜しながらの道のりだったが、曇りとなり、波も強くなり、キャンプ場も見つからず、道に迷い……。いつもの無計画な展開の中、湯本温泉さえもあきらめ、当初の予定どおり、夏井川渓谷キャンプ場に向かう。
 日がとっぷりと暮れた中、ようやくキャンプ場に到着。テントは他1張り。貸し切り状態。遅くなったのでパピと米谷に買い出しを任せ、テント設営を急ぐ。ヤブ蚊がすごい。数カ所刺されながらもテントが完成し、疲れてゴロ寝の濃厚タイム。しばらくして2人が戻って来て、酒宴となる。渓谷の音が涼しい。気温も下がり、快適で楽しい宴となった。山からきれいな満月が顔出す。「河童と蛙」の詩の月もこんなにきれいだったのかしらと、明日訪れる草野心平記念館に思いを馳せる。
 
 第3日目 8月8日(火)
●いわき市(夏井川渓谷、朝食、こだま湖周辺、草野心平記念文学館)→会津若松市(高速下車)→喜多方市(昼食・坂内食堂)→会津若松市(鶴ヶ城、茶室麟閣、天寧寺、近藤勇の墓、会津慶山焼・香山窯、飯盛山、白虎隊士の墓、白刃の地、さざえ堂、旧滝沢本陣)→猪苗代町(猪苗代湖、蟹沢浜キャンプ場、西ノ澤温泉、夕食と宿泊・野営)
 朝も快適。2人より少し早く目覚めたので外で一服。さて、コンビニで朝食後、おがわダム周辺を見学して草野心平記念館へ。30分くらい早く着いたので入り口で待っていた。パピが自動ドアのところから受付のおねーちゃんに頼んだがつれない返事。すると、学芸員のおじさん(小野さん)がやってきた。
「君たち、暑い?入りたい?煙草吸ってちゃダメだな。やめなさい。じゃあ、ロビーで待っていて。先にトイレしなさい。向こうが入り口だから。ちゃんと手を洗って。ここで休みなさい。そこの本は見ていいから。」
 次々と指示を出し、私たちを翻弄する。函館からこの記念館を見に来た教師仲間だと知ると、
「それじゃあ、15分くらい解説するから。こっちへ来なさい。君、小学校だったね。何か草野心平の詩を言いなさい。そうか、もういい。君は中学校だったね。言ってみなさい。(私が暗唱し始めようとすると)もう、いい。わかった。それだけ言えればいい。じゃあ、ここから順路だから。まずは……、(ひとしきりしゃべり)それじゃあ30分くらいで見なさい。それからまた説明するから。」
 と行ってしまった。まるで嵐である。
 年譜があまりにも多いので、知らなかった晩年だけをチェックし、電信柱コーナー(書簡)や竹藪コーナー(朗読)、そして心平が営んだ居酒屋「火の車」の復元店舗を見て、一通り館内を巡った。しかしその時、30分待ちきれなくなった小野さんはパピのところに来て作品を音読させ、再度ひとしきり講釈をたれ、まだ鑑賞途中の米谷も呼んだらしい。そして、
「コーヒー飲んでいきなさい。あと一人はどこかな。ああ、いたいた。こっちに集合。コーヒー飲んでいきなさい。ああ、この作品だけ説明しておこう。」
 と全くこちらに暇と隙を与えず、パピと米谷は全部見終わっていないのに会議室へ。そこでコーヒーをごちそうになった。とにかく、常に自分のペースで物事を進め、発言内容も落ち着かなく入れ替わる小野さん。強烈でした。まだまだたくさん彼についてはあるのだが、紙面の都合もあるのでここまで。パピはこのあとの旅で、しょっちゅう小野さんのマネをしていた(しかも似てない。だんだんみのもんたになってきた・笑)。
 記念館自体はものすごく素晴らしいものだった。生き方と作品が大地に根ざしており、豪快で繊細で、職種も多いし多作でもあるし、思っていたとおり檀一雄と同じ匂いの人であった。
 心平が命名の達人で、その命名が彼にとって一番短い詩の形態だったのかも知れないという一文は目から鱗であった。また、お互い強烈に惹かれ合っていた宮沢賢治との初対面が彼の遺影だったというビデオ説明には泣けた。無名の賢治に「天才」という称号を与え、彼を中央の同人誌に引っ張り込み、文通を続け、賢治が亡くなってからもその作品を世に広め続けた心平。そういう人情家であるところも含めて大好きな文学者の一人である。
 夏休み特別展で「こどものとも・こいでやすこ展」もやっていたのがラッキーだった。我が家には「こどものともシリーズ」は30冊くらいあるが、その中でこいでさんの「おなべおなべにえたかな?」は大誠、遼士とも大好きだった作品である。
 小川郷から山越えで高速インターに抜ける地元通称「アドベンチャーコース」がいいと薦めたくせに、すぐ撤回する小野さんと別れ、教えられた通り県道から高速へ。国道4号線と東北本線をまたぎ、内陸へと進む。目指すは喜多方のラーメン。猛暑の中、行列のできる店・坂内食堂に着き行列に加わる。汗だくで待ったかいあって、「肉そば」と呼ばれる坂内ラーメンはとろけるチャーシューで麺が見えないほど。美味すぎ。
 大満足で会津若松へ南下。いよいよ昨年から延々と続く、新選組調べの最終章である。まずは鶴ヶ城へ。城内も広く資料も豊富で、夏休み特別会津新選組展もやっていたのがラッキーであった。新選組三番隊長の剣客で、会津藩に恩義を感じ、榎本・土方と蝦夷へ行かず戦い続けた斉藤一が、やはり大きく取り上げられていた。
 外の茶室も見る。猛暑の茶室でこの3人。なんだかデジャ・ヴを感じたと思ったら、宮城・山形編の魯迅記念館の伊達藩茶室だった。あの旅は野呂欠席の4人旅だったが、魯迅記念館の時はまだ能瀬が仙台駅へ到着する前だったのだ。そして、新選組調べの最後を飾るべく、天寧寺の近藤勇の墓へ。寺からかなり離れた山奥だった。当時は賊軍の将という立場だったので、場所を隠す意味もあったのだろうと推測する。
 夕方遅く、飯盛山に着く。白虎隊悲劇の地。山というだけあって、目の前には数百の石段。
「よし、行くか!」
 と、米谷と共に駆け足で登る(パピはゆっくり)。これも修行か。第2次大戦前の三国同盟当時、白虎隊精神に感激した伊ムッソリーニ内閣から送られた史跡が建つ。ファシズム全体主義で国民の意識高揚の材料としては最高だったのだろう。
「ナショナリズムじゃないんだよなあ、義なんだよなあ。」
 と米谷と話す。自刃の地からは確かに鶴ヶ城が見えた。ただ独り蘇生した隊士がいて、自害の全容が明らかになったという。
「辛かったべなあ。」と米谷。
 山越えし猪苗代湖に着く。でかい。洞爺湖の3倍の湖面の景観だろうか。当初、湖南の無料キャンプ場を考えていたが、温泉と翌日の野口英世記念館へのアクセスを考え、開けている湖北のキャンプ場を探す。ネット資料から蟹沢浜キャンプ場に決定。管理人不在で地域の人が朝夕、料金を徴収するという話だったが、結局最後まで現れず。ラッキーだった。テントを張り、西ノ澤温泉へ。ひなびた老舗の旅館。買い出しも済ませ、いい気持ちでキャンプ場に戻ると風も収まり、良い月夜である。湖畔の夜景も美しい。酒宴は深夜まで続いた。すっかり定着した小野さんネタで盛り上がる。
 
第4日目 8月9日(水)
●猪苗代町(猪苗代湖、朝食、野口英世記念館)→福島市(高速下車)→飯坂町(医王寺、飯坂温泉・鯖湖湯、昼食)→青森市(夕食・半田屋、青森港)
 コンビニで朝食を済ませ、目の前にある野口英世記念館へ。
 ここで驚いたのが英世の人柄。堅物でストイックで真面目に勉学に励み、研究に打ち込んだお堅い人というイメージがあったのだが、実はまったく違って本当は豪快くんだったのだ。渡米が決定し喜んでその積み立て(今のお金で100万くらい)をパアッと友達と豪遊してしまう。宵越しの金は持たない(持てない)性格で、恩師や友人への金の無心も多かったらしい。酒もバカ騒ぎも大好きで、物事にのめり込みやすく頭髪や服装には無頓着。ただの理科好きの豪快くんだった英世。だからこそ、周りの人に慕われ、放っておけない人だったのだろう。英世の周りにはいつも人の輪ができたそうだ。
 う〜ん、俺はなんとなく少し(性格が)桐花寮友・上村努に似ているなあと。彼もあのとおり豪快くんで、みんなに慕われていたなあ。伝記じゃわからん部分でした。これを知ってから彼の写真を見ると、以前と見方が変わっている自分に気づく。
 高速に入り、福島市へ。観光物産館コラッセへ。少し規模が小さく、秋田アトリオンのほうが良いというみんなの意見。焼きものは会津本郷焼の宗像窯作品が9千円で手が出ず。流紋窯の珈琲カップに決定。相馬駒焼は湯飲みしかなかったので断念。
 市街地を抜けて飯坂温泉郷へ。この旅の締めくくりは松尾芭蕉。彼が訪れ俳句も残している医王寺と、湯につかったと言われる有湯・鯖湖湯(大衆浴場)に行く。医王寺は見学に40分ほどかかるということで、外観を拝んだだけ。すぐに温泉市街地へ。平成5年に改築するまではあの道後温泉を抜いて、日本最古の木造建築共同浴場だったらしい。湯はかなり熱い。ほとんど熱湯である。これも修行か。昼食を買い込み、東北道へ。ここから青森まで一気に500キロ。最後が温泉だったので、なんだかさわやかな帰路となった。
 帰りはSAに寄りまくり。なぜかというと米谷の奥さんへのお土産探し、恒例キティちゃん。なんでもひも付きの座敷童キティを探すという。3、4件めのSAでようやくゲット。家族の理解を得るためにはお土産は大事なのである。
 すっかり夜になり、フェリー乗り場へ向かう。夕食はコンビニで簡単に……と思っていたら、「大衆食堂・半田屋」とある。
「寄るか!」と直行。安くて早く美味くて最高だった。ちなみに私は旅恒例のカツ丼でした(ソースカツ丼でしたが)。カツ丼、カキフライ、みそ汁、温泉半熟卵、ナメコおろし。全部で609円なり。素晴らしすぎる。後日、撮影したビデオを見た時、初日の未明にここを通った時、パピがぼそっと「あの半田屋って何だろう。」とつぶやいていた。恐るべし、パピ!(笑)
 
第5日目 810日(木)
●函館市(パピ家)→北斗市(宮川邸)
 フェリーはほどほど混んでいたが窮屈ではない。資料整理、旅費の決算をしながら時間が過ぎる。草野心平館内に復元されていた居酒屋「火の車」にあった当時の面白メニュー表が、私のカバンから出てきた。小野さんに捕まり、火の車を見ていない2人は当然持っていない。最後の最後まで小野さんネタで大爆笑だった。 函館港到着、パピ家に着く。荷物を詰め替え、宮川邸へ。
 米谷と別れ、今年も無事無計画終了。野営2泊だけではなく、修行も多かった。まさに体験学習。大満足の福島編であった。
 来年は前倒し米谷実行委員長で新潟編。野営と佐渡行、能瀬車出動という話も出ているが、さてさて……。
 野呂からのメール、能瀬からの(青い花HPへ)書き込みがあったので、掲載しておく。
 
 お疲れ様でした。
 9時前に米谷から電話があって、わざわざお土産を持ってきてくれることになった。宮川の家に届けてもらうことも考えたけど、どうせ出勤なので、萩野小まで来てもらった。校舎内がとても暑かったのと、外装工事中で暗かったので、校舎の前庭にある古ぼけた藤棚の下で話すことにした。1時間半近くもお土産話を中心に話しこんでしまった。学芸員の小野さん(だっけ?)のキャラクターを米谷が語りまくってくれた。抜群の臨場感で、まるで彼が憑依したかのよう。おかげで国取りのかけらを手に入れることができた。これからのビジョンについても少し話ができたし、俺としてもめでたしめでたし、無事に夏を終えられそうだ。お土産もありがとう。俺にとってあの藤棚がこんなに役に立ったことはない。
 午後から息子の釣りデビューだった。はじめてを空振りで終わらすことはできない。そう思ったのだが、場所は宮川君お勧めの「緑の島」。そんなに遠出するのも面倒だ。結果、何とか1匹のはぜ君をゲット。喜ばすことができた。こちらもめでたしめでたし。因みにあそこは金森倉庫側がつれるのかい?それともドック側?今日は倉庫側のほうが良かったみたいだけど。1時から6時まで遊びながらあそこにいて、さらに帰りにトイレ上の公園を駆け巡るわが子の体力の凄きことに恐れをなすばかりである。
 もう彼は眠っている。明日は何時起きなのかな?やれやれ。(野呂智幸)
 
 おかえり。
 走行距離1400キロとは恐れ入ったよ。すごい!きっと楽しかったんだろうねえ。電話ありがとう。あのとき私は中体連剣道の北信越大会の運営の先生方の打ち上げの真っ最中でした(幹事でした)。あの日に北信越大会があったんだよ。結果は個人で3位に入った。これもすごかったよ。団体は負けたけどね。
 寒川のビデオ届いたよ。ありがとう。寒川行軍のみんなの様子を見たよ(飲みながら)。すごい奴らだな。とんでもない人たちだ、君たちは。とてつもないな。(能瀬明)
 
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