書くこと、そして読むこと
男山 克弘(編集顧問)
 
 安東璋二先生から教えていただいたことはたくさんある。その一つが〈文章を書く能力を高めたいなら日記をつけよ〉ということだ。卒業論文を書くための相談に応じて下さった時の安東先生のこの教えはぼくの人生にとって大きな意味をもたらして今に至る。
 
『六二・三・二六(木)午後十時三十四分
 昨晩、「気腹志」にて同人誌「から元気」の合評会をとり行う。これが第一回である。出席者は敬三さん、宮上さん、永田さん、黒丸、二本柳、直之(木下)、特別に安東先生と下西先生、そして僕の九人だった。一つ一つの作品について、じっくりと時間をかけて、意外にも白熱した討論がなされたと思う。酒が入っていたのも、少しは饒舌に拍車をかけたものと思う。さすがに本人を前にして賞めるわけにもいかなかったのだけれども、黒丸が書いた「思い出」という作品が好ましく、よくできたものだと思う。筋立てがよい。小説を読むときの一つの楽しみでもあるサスペンスが生きている。「僕」の友人の罪がしだいにわかってくる展開がよい。探偵小説をたくさん読んできた黒丸のよさが、プロットに、妙によく生かされた作品だった。もちろん僕の純文学趣味から言へば、まだ不満はあるものの、それは野暮だろうし、黒丸にはこんな話をこれからもたくさん書いてほしいと思う。
 これから家庭教師のアルバイトをしに行こうとしていたところに、突然、黒丸と佐々木が遊びに来た。ボロ家なので恐縮なのだけれど、わざわざ遊びに来てくれることはとてもうれしいことである。』
 
 今から23年前のぼくの日記である。
 書くことに価値があることを知ってしまった人々がかつて語り合った。安東先生が教えて下さった書くことの価値を形にしたのが敬三さんである。黒丸氏や佐々木氏のおかげで「から元気」に縦のつながりが生まれた。そして、「青い花」誕生につながる幾ばくかの意味があったのだと思う。
 ぼくは今も書いている。日記、授業のための解釈と批評、学級通信、某出版社から断続的に依頼されている原稿、生徒や卒業生に送る手紙やメールの文章、不定期に書く機会をいただく論文などである。
 ぼくにとって〈書く〉という行為を欠いた人生はもはやありえない。
 今また「青い花」のために〈書いている〉。  
 
 安東璋二先生から教えていただいたことはたくさんある。文章を読むことの楽しさもその一つである。
 今のぼくは45才である。これまでに読んできた文章の量はそれなりにある。そして文章を読んだことが経験として保存されてくる。すると人生がとてつもなく面白くなってくる。フェデリコ・フェリーニの「8 1/2」でグイド・アンセルミがつぶやく「En la festa la vita viviamo insieme./人生は祭りだ。共に生きよう。」という言葉の意味を自分なりに実感できるようになった。
 文章、映画、音楽、そして現実をぼくは読む。ぼくは〈読む人間〉でもある。
 今また「青い花」のために〈読んでいる〉。
 
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