前頭十七枚目
野呂智幸
 
 
 齋藤孝氏の本に、「伝記は主人公がどんな逆境に遭っても、必ず最後に成功するから、小学生に読ませるには良い。」とあるのを読んで、一時期は自分もその通りだと思っていた。が、最近それはどうなのかと思う。
 親父が死んだ。大動脈解離によるタンポナーゼ。心臓から全身に血を送る最も太い血管が、心臓の出口から腰のあたりまで縦に裂けた。裂けたといっても単純に破けたわけではなく、血管の壁を作っている複数ある層の隙間に誤って血が入り込み、血液が流れながら層と層を剥がしていくイメージだ。すると血管の壁は薄くなって膨んでいくことになる。膨らんだ血管により心臓が圧迫されて停止した。どうやらそういうことらしい。
 芸能人では加藤茶や石原裕次郎が罹ったのが有名だ。彼らは運が良いのか良い医者を頼んだのか、この病気では命を落とさなかった。
 この病気は激痛を伴うらしいが、長時間苦しむことなく父は逝った。母から連絡を受け自分が病院についた時に、父は処置中で会うことはできなかった。現状についての説明が医師からあったが、その中に若干の希望的観測が含まれていたにもかかわらず、自分は父との別れを覚悟した。
 数十分待たされた後、再び診察室に家族が呼ばれ、静かに眠っている父と会った。人工心肺装置により生かされている現状だった。医師から、このまま生かしておくことはできないとの優しく丁寧な説明があった。母は声を上げて泣いたが、自分は父の頭をなでながら「お疲れ様。がんばったな。」
と言った…と思う。
 死というものは病気にしても事故にしても、唐突にやって来る。死の直前は死ではない。死んでからが死だ。生が白で死が黒だとすると、グレイの時間はほぼない。自分はそう感じたし、今もそう思う。
 昔から人の命はろうそくの火に例えられるが、命の消えるさまはろうそくが消える時に本当にそっくりだ。酸素の入っていない集気びんの中に火の着いたろうそくを入れる実験があるが、あれに本当にそっくりだ。「すうっ」と消える。すうっと…。あっという間に生体は死体へと変わる。そして二度と命の炎が燈ることはない。
 養老孟司氏は、現代の日本は人口が多い割に死体や人の死を目にすることが極端に少ない不自然な場所だと言っている。一億もいる人々がそっと亡くなって、そっと運ばれ、そっと焼かれ、80年でいつの間にか全員入れ替わっている。
 子ども達や若い人達こそ、命が「すうっ」と消える瞬間に立ち会うべきだと思う。誰もが説明できない命という何ものかが、確かに抜ける。そして、二度とは戻らない。命の貴重さが実感できる瞬間だ。
 父の死因…。病名としては前述の通りだが、人がこの世を去るにはそれだけではおさまりがつかない何か他の理由があるように思う。
 父と最後に話したのは電話だった。
「どうしてた?」
と、父。
「いや、特に…」
「元気か?」
「みんな元気にしてる…。ばあさんは?」
「今、買い物だ。自転車で行った。」
「自転車、調子いいのか?」
「ああ、いいみたいだ。」
「…」
「そしたら、またな。」
「おう…。」
「…」
 父は、さらに何かを言いたそうだったが、言うべき何かがあったとは思えない。その頃のいつものパターンだ。
 「自転車」というのは、数日前に買った自転車だ。以前から父母が自転車がほしいと言っていたので、我々夫婦も付き添って、市内のスポーツ店やホームセンターを回り、たくさんの自転車を見た。そして、我々が勧めた自転車でほとんど決まりかけた。けれど、彼らは少し迷って「普通の」ママチャリを買った。その新車のことである。
 四月の半ばのことで外はまだ寒かったが、母は車の免許を持たないため、近所に買い物に出かけるには自転車が必需品となる。買ってから随分喜んで乗っていたらしい。後でわかったことだが、実は、父は我々の勧めたおしゃれな自転車の方を欲しがっていたようだ。
「お前が乗るんだから好きにすればいい。」
二人で乗るはずの自転車がいつの間にか母の乗る自転車になっていたらしい。
 父はそういう人だった。
 自分と妻、息子の三人は五月の連休に函館山登山をすることにした。今までにも何度も登った山で、いつも通りに登り、いつも通りに下りるはずだったが、その日は特別だった。
 雨が降りそうというほどではないが、どんよりとした曇りの日で、山の木々にはまだ葉がなく寒々しかった。それだけでもかなり淋しい感じだったのだが、七合目の駐車場辺りから馬の背にかけて、そして、さらにそこから下山するまでの一時間以上もの間、三羽の烏が我々にずっと付きまとってきた。そのしつこさは尋常ではなかった。我々が進むと彼らも進み、我々が止まると彼らも止まった。そして始終、
「ガーガー」「ガーガー」
と、頭上から鋭い目つきで睨みながら喚き散らす。
 彼らも移動を続けるのだから、巣を守ろうとしているわけでないらしかった。他の人たちと我々がすれ違ったり追い越されたり、我々が追い越したりすることも何度もあったのだが、他の人たちに付いていくことはなく、烏はずっと我々のそばを離れなかった。せっかくの子どもの日の登山だったが、薄気味悪く淋しい登山になってしまった。
 それから数時間後に我々は父との別れを体験する。父の魂が我々と共に登山をしていたとしか考えられない。烏には何かが見えていたに違いない。
 父は相撲が好きだった。父母の暮らす家ではBSに加入していなかったが、もし入れば相撲のある奇数の月には、「序の口」から最後の取り組みまで、毎日「べたっと座って」見るに違いないということで、それは母により却下された。
 自分が小学生の頃に、タクシーの運転手だった父は、休みの日には四時頃から六時までは相撲、出番の日には夕食に帰宅した時に相撲と決まっていた。
 釣竿を担いで家のそばまで帰って来ると、父母よりも先に、夕飯の醤油っぽい煮物のにおいと行司の声が自分を迎えてくれたのを覚えている。
 そのため、自分も数々の名力士を知っていた。貴ノ花、輪島、北の湖、旭國、千代の富士、高見山、若乃花、琴桜、魁傑、大受、増位山、琴風、朝潮、北天佑、若島津、鷲羽山、麒麟児…。
 彼が好きだった大相撲に異変が起き始めたのはいつ頃からだったのだろう。まず北海道と青森の力士が減った。次に外国人力士がどんどん増えていった。そして、モンゴル勢の台頭。強ければそれでいいという、横柄な横綱朝青龍の登場と活躍、それに頼るしかない相撲協会の衰退…。昔から裏では色々なことがあっただろから、実情はその時だけ悪かったわけではないのかもしれないが、我々からすると、昔の勢いのあったころの相撲からは比べるべくもなく「堕ちていく姿」に見て取れた。やくみつるやデーモン小暮もいろいろ言った。
 そして、ついに大相撲中継が中止になった。二〇一一年春場所はそれまでの八百長問題の影響で中止となった。ひと月休んで次の月になれば楽しみが待っているという、退職後の相撲好きの老人の楽しみが、簡単に奪われた。
 些細なことに思えるかもしれない相撲中継の中止も、もしかしたら、父が生きている必然性を一つ失わせたのかもしれない。
 人は生きていく必然性(うまく表現できないが、モチベーションより弱い、目的とも少し違う、そのまま続けて生きていこうとする勢いや欲のようなもの)を色々な部分にたくさん作って持っている。そして、それらは年取るごとに一つ一つ失われていく。それらが魂をこの世へ繋ぎ止めておけないほど少なくなったとき、魂はふわふわとこの世から離れてあちら側に行ってしまうのではないか。少なくとも、年を取って亡くなる人たちの場合にはそういう感じがする。父にとっては相撲も結構太いロープだったのじゃないかと思う。
 勢いに乗って番付を上げていく力士以外の地味な力士達は、どうしてある時期で成長を止めてしまい、その後単なる脇役のまま現役生活を続けるのだろう。何のために彼らは力士を続けているのだろう。横綱や大関になれないことがわかったら早く辞めたらどうなのだろう。小学生の時の自分がそんな厳しいことを考えていたのを思い出した。力士を職業としてとらえることができず、単なる強さ比べだとしか思っていなかったのだろうか。
 自分にとって魅力のない幕下や十両、前頭の力士の取り組みは興味なく眺めていたし、「この人達がいなかったら六時までかからずに終わるのに」などとひどいことも考えていた。
 今我々が出会う人々が、どんな境遇をくぐり抜け、今の状態のその人になったのかは本人にしかわからない。極限まで努力した結果、苦労に苦労を重ねた結果が今の姿かもしれない。少なくとも大人に対しては、最近自分はそう思って接するようになった。今だらしなかったり、生活が困難な状況だからといって必ずしも「頑張れ、きちんとやれ」とは言えない。
 今の状態が優れていなければ、誰も他人のことを誉めない。けれどその人は、生まれも育ちも恵まれず、それでも人知れず歯を食いしばり努力してきて、今の普通の生活があるのかもしれない。けれど、その「功績」は誰にも知られず、そのうち彼らの人生は「すうっ」と消える。
 物凄い桁のマイナスの人生を生き抜き、最後にプラスマイナスゼロまで漕ぎ着けた男の物語には誰も興味を示さない。初めはどうあれ、他の人より抜きん出て、プラスの状態でキラキラと輝いた人の人生だけが伝記となり伝説(レジェンド)となる。
 パラリンピックに出て活躍した人を大変な境遇だったのにあそこまでできてすごい!とか、不幸から立ち直ったからとても強くて偉い!という考えが主流なのかもしれない。そして、その見方も必ずしも間違ってはいないだろう。けれど、大会に出られる人は、生まれつき運動神経が備わっていた人、経済的に恵まれている人達だろう。それらの土台の上には人並みならない努力があるのかもしれないが、土台がない人にはありえない幸福を彼らは手に入れている。
 そんなに優れていなくても恰好よくなくても平凡でも、今そこで普通に生きているだけで十分大したものだといえる人がいるかもしれない。そういう人は無数にいるのだろう。
 素質に恵まれず、体格にも恵まれてもいないのに誰よりも努力をして、辛うじて前頭十七枚目を維持している力士がいるかもしれないということだ。その人は様々な好条件に恵まれて活躍し横綱になった有名な力士よりも、ある意味で凄いのかもしれない。
 今まで優勝したことがある最も下の前頭の力士は十七枚目だそうだ。前頭十七枚目侮るべからず。
 
 
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