大誠
宮川高宏

「高おじちゃーん」
石巻駅に着いた私を迎えたのは、姪と義姉さんだった。
「あれえ、義姉さんどうしてわかったの?」
「ひとみから十三時の快速に乗るって聞いてたから。やっぱり50分くらいで着いたね」
「助かりました。すいません」
 すっかり日焼けした姪は、悪戯な目つきでにっこりした。歩きながらおしりを叩いてやるとキャッキャと笑う。
「赤ちゃん、どうですか?」
「うん、かわいいよお、涙でる、、、」
 その言葉には、自分の妹へのいたわりも感じられ、私はうれしく思った。

 ここ石巻は仙台より海に近い分、いくぶん涼しいような気もするが、それでも北海道の比ではない。並木の間からの木漏れ日が暑さを感じさせ、容赦なく私に降りかかる。日射しの強さのせいか、街が白く見えた。
 駅から10分ほど車に乗り、村山産婦人科に着く。
 自動ドアを前に、私は自分がすいぶん緊張していることに気づいた。
「高おじちゃん、早く」
「あ、ああ」
 姪がうながす。義姉さんは私の様子を察したのか、少し笑った。
 階段を上がり、十二号室へ。開けっ放しのドアに掛かるレースのカーテン越しに、妻が見えた。髪を切った妻は、思いのほか元気そうに見えた。
「大丈夫か?体どうだ?」
「うん、何ともない」
 つっけんどんに言うときの妻は、決まって泣くのをこらえている時だ。こんな亭主でも来てくれると安心なのかも知れない。
 そうして、横のベビーベッドの中には、この夫婦の初子が寝ていた。

 電話のベルで起こされた私は、眠りが浅かったことを感じていた。時間は午前三時。すぐに思考が回復し、もしや陣痛か、いやまだ予定日までは二日ある。などと思いながら受話器を取った。
「今、生まれたよ!!」
 義姉さんの興奮している声が聞こえた。身体が震える。陣痛から出産まで二時間15分ほど安産だった。二九〇〇グラムの男の子の誕生。平時は無神の私だが、この時ばかりは別だった「ありがとうございます。どうもありがとうございます」
 部屋の一角を占める安産のお守りとお札が置いてある棚に向かって、私は何度も頭を下げ、柏手を打った。そしてそこには、まだエコーでしか見ることのできなかった我が子のプリントが飾られている。小さな小さな頭と身体。その子が十ヶ月、妻の身体の中ですくすく育ち、ついに生まれてきたのだ。
 たったひとつ、まぎれもない私と妻のいのちの結晶。
 外はもう薄明だった。新しい生命の誕生に相応しい朝の光が、家の周囲に降り注いでいる。
 赤土の庭の隅に二本。南瓜の花が左右に折れ曲がりながら、ひょろりと延び立って真黄色な花を咲かせている。播いた覚えはないのでこぼれ種だろう。そして雑草の呈をなしている小さな畑には、ジャガ芋の白い花が折り重なって満開となっていた。

 窓からの微風が絶えず病室のベッドの上をすべっていた。誕生二日目の長男の大誠が、少しふくよかになった妻の胸の中で眠っている。小さな顔と手。可愛いと思った。神が運んでくれた自然の人の営みを全うしようと思った。自分にとっては一つの転機なのだろう。本当によく生まれてきた。あとの全責任は我が身にある。
「高おじちゃん、抱いてみたら」
 義姉さんが気をつかってくれる。どうしてよいかわからなかった私は、おろおろしながらもようやく頸を支え、抱き上げた。まだ何もわからぬはずだが、時折口元を上げ、にっこりした表情つくる。うれしくてたまらないと思った。
 やがて姪と義姉さんが帰り、私と妻と大誠の三人となった。静けさと共に、旅の疲れが身体にひろがったが、親子三人だけで初めて寄り集う嬉しさがあった。なにか、この母子のために何でもしてやれそうな優しい気持ちに浸る。
「ありがとう、よく頑張ったなあ」
 静かに妻の頭を撫でる。大誠はうっすらと目を開け、時々その小さな手で自分の頬に触っている。

ふいに私は妻の腹を見てみたくなった。
「お腹、見せて」
「え、ううん」
 妻は恥ずかしげに寝巻きを捲る。すべすべと柔らかい肌の手ざわり温かさがしみじみと有り難かった。私は妻に言うとも独り言ともつかぬ調子で話した。
「不思議だよなあ。ついこの間まで、このお腹の中でドンドンて動いていた子が、今こうやって目の前で動いて、寝たり泣いたり、こうやってお腹の中でも動いてたんだなあ。よく生まれてきたなあ。よかったなあ。ひとみ、本当に頑張ったね」
 妻は、うとうとと眠っている大誠の頭を一つ撫でると、
「そうだよお。ねえ、大誠。ママの宝物だものねえ。苦しくて、苦しくて、こんなに苦しいんだったらもう子どもはいらないって思ったくらいだものねえ。可愛い。可愛い。ねえ大誠。あんまり可愛いと食べちゃうぞお。そんなに可愛いと食べちゃうぞお。ママの宝物。大誠」
 妻は浮かされたように、大誠の顔に頬擦りしたり、細い指先で撫でてみたりしながら、とりとめもなく、そんなことを言っているうちに泣いていた。
 窓からの午後の日射しの中で、日光よりも大誠の寝顔の方をまぶしそうに眺める妻の横顔を久方ぶりにいじらしく見下ろす。
 私はそっとその頬に接吻した。

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